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I want to look after you

1 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年09月04日(水)16時13分03秒  
お邪魔します。
銀板で自転車屋の話を書いている者です。
この話は、今年の2月、仙台のハロプロライブで、姐さんが欠席したことから
思いついたネタで、銀板のものよりも先に書いたものですが、話が纏らず、
そのままお蔵入りになっていました。
今回の卒業で、(不謹慎と思いつつ)オチが思いつき、
ある曲を絡めて作ってみました。
駄文だろうとなんだろうと、やったモン勝ち!ということで、
ほかでは見た事がない(らしい)“みちやぐ”です。
116 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時38分20秒  
さて、ここからは、銀板で書いていた小説、
“人力二輪工房 [Common House]”
(↓の続き)を更新させていただきます。
http://m-seek.on.arena.ne.jp/cgi-bin/read.cgi/silver/1026812434/
117 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時39分46秒  
その3日後の朝

「おはよ〜ございま〜す…」
いつものように、矢口が[Common House]に出社してきた。

「あ、おはようさ〜ん。」
平家が店の奥から返事をする。店はまだ開けられていないが、
この日はすでにパソコンに向かって仕事を始めていた。

――今日、忙しいのかな?

仕事用のエプロンを着ようとしている矢口に平家が声を掛けた。
「あ、矢口…今日から残業してな。」
しかし、視線はパソコンに向かって、矢口の顔は見ていない。

「?…なんかあるの?」
「ごっつあるで…これからウチが出るまで、
矢口にこの店の経営、覚えてもらわないかんからな。」
118 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時42分52秒  
「え…………なん…で?」
エプロンの紐を結ぼうとしている矢口の手が止まった。
平家の発言を理解するのに、時間がかかっているようだ。

「買い手がついたで。しかも今まで通り、店をやってもええて。」
平家が座っている椅子から立ち上がり、矢口に顔を向ける。

「え?…じゃぁ、……えっと…」

「正式には決まってへんけど、カオリがこの店買い取ってくれるんよ。
ウチが買い戻すのを条件にな。」

その平家の顔を見て、そのことが本当の事だと判った瞬間、
矢口の顔がぱあっと明るくなった。
119 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時43分33秒  
「いやったぁぁぁーーー!!!」
矢口はその場で何度も飛び跳ねながら、平家に抱きついた。
どんっ、とぶつかってきたそれを、気持ちと一緒にしっかりと受け止める。

そして、自転車のようなバックギアを知らない、思いっきり前向きな、
熱い気持ちを持った“後継ぎ”の頭をポンポンと叩きながら、
飯田が話していたことを思い出す。

「いろいろ、ありがとうな…」
「え?」
「カオリから聞いたで。あの店でみんなのいる前で、
土下座までして頼み込んだんやて?」
「う…それは…」
「それ聞いたとき、ほんまに嬉しかったわ……ありがとうな。」
矢口の見上げたそれは、ここ最近見ていなかった、明るくて、
とても柔らかい穏やかな平家の笑顔だった。
120 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時44分07秒  
その同時刻。
「あー…眩しいねぇ…」

徹夜明けの身体にはちょっと辛い明るさだった。
閉店後の[SILVER CROW]から出てきた保田が、
快晴の空を眩しそうに見上げながら、店のシャッターを降す。

「そぉ?カオリは、とっても気持ちいいけど…」
自分と保田の自転車を持ちながら、飯田も同じ空を見上げる。

「そりゃぁ、店を手に入れるんだから、気持ちいいだろうさ。」
「手に入れたんじゃなくって、“人助け”って言ってよぉ〜」
「はいはい…」
保田が半ば呆れたように、いい加減に飯田をあしらう。

「でも、みっちゃんも思い切った事するよねぇ…
あの店売ってまで、先代探しに行くなんてさ…」
「まぁ、先代と裕ちゃんの繋がりは、みっちゃんだけだからね。
みっちゃんも、3人で暮らしたがってたし…」
「だから“人助け”?」
「よっしーをヘルプに紹介してくれて、新しいお客さんも増えたんだから、
とりあえず恩は返しておかないとね…」
「結局は、こっちの店のためなんだ…」
「当たり前でしょ。金回りは、こっちの方が絶対いいんだからさぁ〜」

…まぁ、こっちはこっちで、別の考えがあるようだが、
すべて丸く収まったということで…
121 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時44分46秒  
平家と中澤が旅に出るまでの3ヶ月は、目が回るような忙しさで過ぎていった。

すでに買主の飯田との契約を済ませ、
矢口が店長になるための引継ぎも、何とか形になった。

そして、季節は所々に秋の顔を覗かせる、9月最初の日曜日。

[Common House]の前で、
大量の荷物を搭載した、真新しい2台の自転車が停まっていた。

今日、中澤と平家がこの街を出る。

一人は自分を見付けるために。
もう一人は夢の実現へ向けて…

「忘れ物とか、ない?」
二人の出発に、後藤が見送りに来ていた。

「大丈夫やろ?
もしあっても、カネだけは持っとるから、その都度買うたらええし…」
「せやせや。おかげで無職のプーになってしもたわ…」
122 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時45分47秒  
「あ、そうだ…これ、石川さんがお守りに…って。」
矢口が二人にそれぞれ手渡したそれは、
プリクラのケースを加工した、キーホルダーのようなものだった。
中には、どこかの原っぱで探したのだろう、四つ葉のクローバーが、
押し花のようになって入っていた。

「“二人に幸せが来ますように…”だってさ…」

――石川のヤツ…

中澤が、石川の顔を思い出しながら、キーホルダーを握り締める。

「なんか…おいしい所だけ持っていってるよね。」
「単なる嫌味なんちゃうん?」
「アイツやったら、そうかも知れんな…」
二人がそんな悪口を言いながらも、
フロントバッグの一番目に付く所に取り付けていた。
123 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時46分28秒  
「あ、後藤、これ預かっとってな。」

中澤が後藤に放り投げた物は、
あまり大きくない鍵と、黒いペンライトが付いたキーホルダー。

「…コレ、なんですかぁ?」
「ウチの“彼氏”に付いとる鍵や。
後藤もだいぶ脚力付いたみたいやし、矢口にオーバーホール頼んどるから、
出来上がったら、そっちの方もやっとき。」

鬱陶しく思っていても、後藤を弟子のように可愛がっていた中澤が、
たぶん最後になるであろう後藤への“教授”は、
この時も、直接モノを言わない遠回しな言葉だった。
124 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時47分23秒  
“街中歩けるようなカッコやないねん。”

すべての発端だったあの一言…

“これが今のウチの恋人なんやで。”

初めて中澤の自転車を見たあの場所…

“いつも行っとる店、連れてったるさかい。”

自分の居場所を教えてくれたとき…

“とりあえず見た目だけで選んでもええんちゃうかぁ〜?”

いい加減な一言にカチンときた昼休み…

“自分の体力無視して漕ぎまくったんやろ?”

嬉しそうに笑ってくれたあの日…

“おらっ、後藤!置いてくで!!”

自転車の厳しさと楽しさを教えられた日…

“ロードバイク買うな、とは言わんけど…”

初めて否定された一言…

“頭空っぽにして、自転車で遊ぶのがポダリングやねんから。”

本当の自転車の楽しさを教えてくれた一日…

そして、“師匠”と言うべき人の隠された言葉…

“ロードバイクも乗りなさい”
“自転車のすべてを愉しみなさい”
125 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時48分01秒  
初めて中澤の自転車を見て、自転車が欲しくなり、MTBを購入して、
「Common House」のみんなのように速く走りたくて、
必死になって努力してきた。

その頑張った自分を、やっと中澤に認められたような気がして、
じんわりと、胸が熱くなる。

「“彼氏”に嫌われんようにな。」
「…はい。」
「ほな、行って来るわ。」
「はい。行ってらっしゃい。」
126 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時48分44秒  
休日といえど、国道はすでに自転車が走り難くなるほどの交通量になっていた。
「裕ちゃん、やっぱ秋待峠越えるんか?」
「うん。日本海沿いに走るって、紗耶香が言うとったからなぁ…
やっぱ、秋待峠越えて、7号線のらな…」

「だったら、こっちの方が近いですよ。」
二人が幅の広い歩道を走りながら、ルートの確認をしていたその時、
後ろから割り込んできたトーンの低い声。

いつの間にか、パールホワイトのロードバイクが、二人の横に並んでいた。
「おっ、よっしーどないしたん?」
「いやぁ…休みとって見送りに行こうと思ったら、遅れちゃって…」
そう言って苦笑いするが、
吉澤はサイクルジャージにレーサーパンツを履いていて、
しっかり長距離を意識した格好をしていた。
127 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時49分17秒  
「とりあえず、峠まで先導しますよ。」
「そんなんええて…」
「二人とも引っ張る人がいた方が楽でしょ?」
「そら、そうやけど…」
「街中だけだったら、二人より速く走れる自信ありますから…」
そう言って、二人の前を走り出す。

そして腰のポケットから携帯を取り出した。
「あ、もしもし?……うん。中澤さんと平家さん、やっぱり秋待峠通るって……
え?…あ、間に合う?……うん…じゃぁ、コンビニの所まで連れてくから。
……は〜い、よろしく〜」
128 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時50分07秒  
――よっしー、何処通んねん?

平家と中澤が戸惑った顔をしている中、
吉澤があまり人の通らない路地をすり抜けて行く。

「ほら、ここに出るんですよ。」
どうやら吉澤は、メッセンジャーという職業柄、
地元の平家や中澤も知らない、細かい道まで知っていたようだ。

「…なんや、ごっつ近道やな。」
「かなり短縮できたわ…」
「後は道なりに行けば、麓のコンビニに着きますから…」
そう言って、二人の風よけになるように先頭に立って、
自転車のペースを上げる。

改めて考えてみると、
これが吉澤なりの平家と中澤への応援だったのかもしれない。
元々、舌足らずで、口数が多くはない吉澤は、余計な見送りの言葉よりも、
このように、自転車で見送る方が自分らしいと思ったのだろう。

――吉澤も、自転車と一つになっとるやん…

平家が自分達を引っ張ってくれている吉澤の後ろ姿を見ながら、
自転車乗りとしての成長に目を細めていた。
129 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時51分03秒  
「よっしー、お疲れ〜!!」
秋待峠の麓にあるコンビニが目の前になった所で、甲高い声が聞こえてきた。

細身の身体に、淡いパステルピンクのジャージ。
そして、それを支えるチェレステブルーの“Bianchi”。
峠での先導は、登坂に強い石川も加わるようだ。

「思ったより早かったね。」
「やっぱり集団で走ると、速くなっちゃうよ。」
「とりあえず、一服していきますか?」
「いや、頂上で一服した方がええやろ。」
「せやな…ほな早速いこか?」
4人は軽く言葉を交わしただけで、すぐに峠の登り坂に向かった。
130 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時51分37秒  
「…中澤さん、水ありますか?」
汗だくになりながら、水を補給している中澤に、石川が声を掛ける。

「うん?…あー、峠で汲んどかないかんな。」
ボトルの重さを確認しながら返事をする。

「じゃぁ、こっちと交換して下さい。あそこの水まずいですよ。」
石川が差し出したボトルを手に取ると、
ひんやりとした冷たさが手の中に伝わる。
「まだ凍ってるかもしれませんから…」

「石川ぁ〜、こっちも空や〜」
一つ後ろを走っている平家からも水の声がかかった。

「じゃぁ、平家さんには、こっち…」
すばやく平家の横に並んだ石川が差し出したそれは、
1Lのボトルと頭から掛けた水。
131 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時52分13秒  
「うわ…気持ちええなぁ…スッキリするわぁ…」

炎天下の中、集中力が切れかかっているときに、身体を冷やされて、
気持ちが引き締まってくる。

「石川ぁ〜、ウチにも掛けてんかぁ?」
それを見て、前を走っている中澤からもリクエストの声が掛かる。

「中澤さんに水掛けたら、化粧溶けて、顔なくなっちゃいませんかぁ〜?」
「なくならへんわっ!!…顔は変わるけどな。」
「変わるんかい!?」

…っつーか、溶けるような化粧するなよ。
132 名前 : 13・BELLE EQUIPE   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時53分20秒  
現役のロードレーサー二人に引っ張ってもらったおかげで、
平家と中澤は今までより、かなり楽に秋待峠の登坂をこなす事ができた。

4人が自転車を引っぱりながら、展望台へと足を向けると、
下界には、今まで住んでいた街が一面に見えた。

「この景色も、暫くは見れへんな…」
「……せやな。」
「ウチらが帰って来る頃には、どないなっとるんやろな?」

――やっぱ、裕ちゃんも不安なんやな…

そんな平家の思いは、一瞬にして覆される。
「何処も変わらんと、みっちゃんの店だけのうなったら、おもろいんやけどな。」
「おもろい事あるかいっ!!」

「もしかしたら、あそこもレズバーになってたりしてね。」
「じゃぁ、よっしーも、あそこのホストになっちゃうかもね。」
「でも、あそこなら、ホストより店長の方がいいなぁ…」

後ろで、石川と吉澤が冗談を言いあっている。
その会話に、表情を失った顔で聞いていた当事者が一人…

――やっぱ、カオリに売ったん、間違いやったやろか?

9月上旬の比較的暑い日だったが、
平家の所にだけは、風がいつも以上に冷たく感じていた。
133 名前 : 原稿打ち合わせ室   投稿日 : 2002年09月29日(日)14時56分07秒  
平家「矢口って、ええ娘やなぁ…普通、他人のために土下座までするかぁ?」
  中澤さんのためには絶対しないでしょうね…
平家「だいぶ前に“みちやぐ”って書いたのはこの事やったんか?」
  はい。
平家「今回はウチが中心の話やし…
  ウチが主役っつーのもこのためやったんやろ?」
  そうですよ。悪く言うと、今までの話は前フリだったんですよ。
平家「最終回前やし、今回はオールキャストやもんなぁ…」
  最終回は中澤さんと平家さんだけで纏めたかったし…
平家「…なっちはどないしたん?」
  あっ…
134 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年09月29日(日)15時10分24秒  
色々ゴタゴタがありましたが、やっと13話・“BELLE EQUIPE”
終了しました。

“BELLE EQUIPE”の意味を知っている方もいらっしゃると思いますが、
これはフランス語で、英語では、“Wonderful Team”となるんですが、
あるドラマに“BELLE EQUIPE”という店がって、
それを“良き友”と解釈していましたが、
この話では、英語の“素晴らしき仲間たち”という解釈で使ってみました。

中澤「やっぱ人間というものは人と人が支えあって…」
安倍「したら、なっちはいらないって事かい?」
中澤「なっちは前の晩、ごっつ楽しませてもらったやないかい。」

…そういう話は他の小説でやってください。
135 名前 : 名無し読者   投稿日 : 2002年09月30日(月)22時39分34秒  
前から何度も言ってますが、この小説に出てくる人物は皆カッケーっすね。
涙が溢れてきちゃいますです。
ラストに向けて頑張って下さいです。
136 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時27分44秒  
>>135
レスありがとうございます。

>この小説に出てくる人物は皆カッケーっすね

実を言うと、スマートにやることをやるっていうキャラが、
一番書きやすいんですよね。(w
多少、私のコンプレックスっていうのもあるかもしれないんですが・・・

さぁ、最終回ですが、上司が接待で、取引先のお偉いさんと釣りに行ったので、
ちょっと早く更新できました。

今の時期のハモは油が乗っていて特に白焼きが・・・
いや、そうじゃなくて・・・
137 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時28分47秒  
二人が[Common House]を出発してから約半月。

能登半島のとある崖から、真っ黒に日焼けした男性が、
海に沈む夕日を眺めていた。

傍らには、ダウンチューブに“平家”のステッカーが貼られている、
傷だらけのシクロキャンプが、疲れをとっているかのように横たわっている。

そこに歩み寄る一人の女性。

「…もうちょっと待ってな。」
男性はその女性に声を掛けるが、動こうとしない。

太陽が完全に海に沈んだ。

「…久し振りやな。」
そう言いながら、ゆっくりと女性の方へ顔を向ける。
138 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時29分19秒  
「……ご無沙汰してます。」
「なんやねんその顔は!?せやから日焼け止め塗っとけ、言うとるやろ!!」
「は、はぁ?」
「裕子なぁ…おまえ、もう30過ぎとるんやろ?その日焼け、絶対シミになんで。」
「い、いや…あの…」
「だいたいなぁ、おまえは子供の頃から…」
「ちょぉ待たんかいっっ!!!」
「…なんやねん?」
「久々の親娘の対面で、なんでいきなり説教から入んねん?」
「別にええやん。」
「ええ事あるかいっ!!…ったく、ほんまにお父ちゃんは…」

――昔のまんまやな…

少し離れたところで、騒ぎまくっている二人を見ていた平家が、
顔を伏せて静かに笑っている。
139 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時30分13秒  
「…なんや、こいつ、みちよが造った自転車か?」
「あぁ…せやで。」
父が、横に倒していた中澤の自転車を起こす。

暫く自転車を見ていた父が、ボソッと呟いた。
「……まだまだ甘ちゃんやな。」
「そおかぁ?」

中澤が自転車を挟んで、父の反対側にしゃがみ、細かい説明を聞く。
「…まず、溶接がいい加減やな。
ラグ使わんと一丁前に直接繋ぐから、弱い所に負担が掛かって、
フレームに歪みが出んねん。」
「それは…ウチがこき使うたから、歪んだんちゃうん?」
「それを計算してへんから歪むんやろ。
大体、こき使わんシクロキャンプなんてあるか?」
「…せやな。」

「オーナーがどう使うか…って、考えて造っとる所が何処にもないやん。
みちよも自転車は使ってナンボ、いうのがまだ判ってへんな。」
昔と変わらない頑固な父の言葉に、中澤も思わず吹き出してしまう。

「聞とったかー?みっちゃんの自転車、まだまだやて!」
「うっさいわっ!!」
140 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時30分48秒  
「なんや、みちよもおったんか?」
撮影のために立てていた三脚を片付けている平家に、
父が今気付いたように呟く。

「うん。裕ちゃんに“写真撮りながら一緒に行かへんか?”言われてな…」
「そやったんか…どや、ええ写真撮れたか?」
「うーん…良さそうなのは、なんぼかあったけど…
夕日の写真だけは、現像してみんと何とも言えんからなぁ…
露出も色々いじっとるし…」
平家がそう言いながら、カメラを詰めたバックパックを右肩に引っ掛ける。
141 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時31分20秒  
「…みんな、元気か?」
「元気やで。紗耶香は昔のランドナー買い戻しよったし、
よっしーは実業団のチームに入るかも知れへんし、
加護は“X−Gamesに出たい”言うて、
お父ちゃんのBMX持ってアメリカ行きよったわ。
店の奥では、牢名主みたいな酔っ払いが、毎晩くだ巻いとるし…」
「牢名主?…あぁ、後藤のことか…」
「裕ちゃんの事やっ!!」

「店の方はどないしたん?」
「店は、最近入った子に任せとるわ。
酒乱で、古い話にごっつ詳しいんやけど、元気なええ子やで。」

「…どないな子やねん?」
腕組みをしながら、興味深そうな表情を見せる。
「背ぇ低い子でな、ウチが造ったロードバイク
…っつーか、ミニベロ乗っとるんやけど、
シグナルグランプリでは、よっしーかて敵わなへんし…」
「おもろそうな子やなぁ…」
142 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時31分51秒  
「お父ちゃんも、戻ってきたら逢えるて。」
話の勢いに任せて、後ろから中澤が口を挟んだ。

今すぐにでも一緒に帰りたかったが、直接“一緒に帰ろう”とは言えなかった。
もしかしたら言いたくなかったのかもしれない。

しかし、父の反応はない。
それが本音を隠した中澤の精一杯の強がりだという事は判っていた。

「…お父ちゃん。」
沈黙に耐えられなくなった平家が思わず声を洩らす。
それでも俯いて、何も声には出さなかった。
143 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時33分39秒  
娘達の気持ちは十分伝わっていた。

何のために、わざわざ娘の造った自転車でここまで来たのか?
自分がいない間にどれだけ成長して、どれだけ自分を理解してくれたのか?

日本中を走りながら、いつかこのような日が来てくれるのではないかと、
淡い期待をしていた時期もあった。
その期待通りに、今ここで逢うことができて、
二人の娘が、周りに自慢できるほど成長して…

しかし、もしここで自分が快諾したら、
娘の、あの日の“詫び”を受け入れることになるだろう。
そのために、自分に一生負い目を感じながら、
生きていく事になるかもしれない。

もう一人の娘もここで旅を終えてしまったら、もう写真を撮る事なく、
一生、小さい店のフレームビルダーとして終わってしまうかもしれない。

そんなことで娘達の成長を止めたくはなかった。
だからこそ、あえて返事はしたくなかった。
144 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時34分09秒  
「……お父ちゃんは、まだ終わってへんからな。」
風と波の音にかき消されそうなほど静かに、ゆっくりと声を出した。

――まだ辞めんのかい?

「日本中の国道を走りたい、っつーお父ちゃんの夢、知っとるやろ?
店をお前らに任せて、やっと出来るんやで。途中で帰りたないわ。」

自分のエゴを貫くための拒絶。
承諾はしないが、娘達の気持ちも受け入れる。

逃げと思われても、それが三人にとっての一番の答えと思っていた。

「まだ、青森と北海道が残ってんねん。」
「これからって、真冬に北海道行くん?」
「冬やからええんやろ?」
「…………」

――何考えてんねん?この年寄りは…

二人が何も言い返せないまま、バックパックを背負い、
黙々と出発の準備をする。
145 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時34分41秒  
その姿をぼんやりと見ながら、中澤が声を掛ける。
「…いつ帰ってくるん?」
「さぁ…全部走りきるまで、帰る気はないんやけどな。」
「……ウチらは…どないしたらええ?」

――裕ちゃん、どないしたん?

今まで聞いたことの無い、中澤の弱々しい声に、平家が反応する。

「そんなん知らんがな。自分のやりたいことは、自分で考えて決めな。」

今まで何でも自分で決めていた中澤が初めて見せた“自分の弱み”。
知らないうちに自分が頼っていた事に初めて気がついた“父親の存在”。
その拠り所のである父親があえて突き放した“本当の意味”。

“自分のやりたいことは、自分で考えて決めな”

その言葉が中澤の頭の中に響く。

「………うん、わかった。ほな、店で待ってるわ。」
声を震わせながら中澤の出した答えは、
いつもの気丈な自分の存在を見せる事だった。
146 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時35分19秒  
父が自転車に跨り、走り出そうとした時、不意に言葉を放つ。
「裕子も、ええオンナになったな。」

目が無くなるような皺だらけの笑顔。
娘の成長を喜んでいる、本当に嬉しそうな笑顔だった。

中澤も、背伸びをして気丈に振舞っている自分を、
見透かされているような気がして、何も言えなくなる。

「裕子のええトコは、昔と全然変わってへん…
これからも今まで通りやりたい事やってったらええねん。」
「………お父ちゃん。」
「みちよの店、支えてやったってな。」
「……お…」

何かを言いたかったが、声が詰まり、無意識のうちに背中が丸くなる。
それを平家が顔を上げさせるように肩を抱く。
「裕ちゃん、ちゃんと見送ってやらな…この前は出来へんかったんやから…」
147 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時35分52秒  
中澤も父親への想いを形にするために、何とか顔を上げようとするが、
いつの間にか出てきた、どうしようも無いほど止まらない涙に、
目の前が歪んでしまう。

ギシ…と自転車の軋む音が中澤の耳に入った。

「お父ちゃんっ!!」
涙で父が何処にいるかも判らない。

それでも言いたかった。

愛してくれて…
許してくれて…
認めてくれて…
“アリガトウ”と…

自分が“中澤裕子”になった時から言いたかった一言。
それが言葉にはならなくても、父の耳には入らなくても、
今ここで何かを伝えたかった。

「お父ちゃんの店で待ってるから!!だから…必ず……かなら…………」
それでも“平家”のシクロキャンプが走り出す。

泣きながら膝から崩れる中澤を、平家がしっかり支えていた。
「裕ちゃん、お父ちゃんには伝わっとるから…ちゃんと…伝わっとるから。」
平家の慰めに、肩を震わせながら何度も頷いて、
いつまでも平家の胸で泣き続けていた。
148 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時40分27秒  
結局、中澤と平家はその場でテントを張ることにしたが、
何もやる気がおきない、というより何もしない中澤を見て、
夕食は平家が近くのコンビニで買って来たパンで済ませることにした。

「……みっちゃん、これから…どないする?」
ランタンの明かりで、ベージュ色に包まれたテントの中で、
ジャムが狭まったコッペパンを齧りながら、力なく呟いた。

外は真っ暗で、波と虫の声だけが聞こえている。

平家はブラックの缶コーヒーを口に含み、ゆっくり時間を使って、
中澤に聞き返す。

「…裕ちゃんは、どないしたいん?」
「………」
中澤は俯いたまま何も答えない。
気が抜けた状態で、まだ何も考えられないようだ。
149 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時42分58秒  
二人が何も話さないまま数分がたち、静かに平家が口を開いた。
「……明日から、別々に走ろか?」
「え?」
思ってもいなかったその言葉に、中澤が弾かれるように顔を上げた。

「いやな…今までの事、考えとったんやけど…
裕ちゃん、なんだかんだって、ウチに頼ってへんか?」
「…………今…まで…」
とりあえず反論しようとするが、そんな力もなく、
ただ、脱力しきった声で、少しづつ言葉が消えていく。
150 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時43分45秒  
いつの間にか入ってきた羽虫が、カチカチとランタンのガラスに当たる。
それを見ながら、平家が中澤に聞いてみた。

「裕ちゃんなぁ…何でウチを誘ったん?」
「それは…みっちゃんが、ついでに写真撮れたらええんちゃうかぁ、思うて…」
「……ウチは、裕ちゃんが一人でお父ちゃんに逢う勇気が無いから、
その口実やと思うとったけどな。」
「そ、それは…」
そんな下心は無い、と言い切れず、声を詰まらせ、また頭を擡げる。

「誘ってくれたんは嬉しかったけど、ウチはここで終らせる気はないから…」
平家はまだ、テントに吊るしたランタンをぼんやりと見ている。
151 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時44分43秒  
「“自分のやりたいことは、自分で考えて決めな”
お父ちゃんは、自分の力でやってかないかん、って意味で言うたんちゃうか?」
何も言わずに頷くだけの中澤。

「裕ちゃんはお父ちゃんに逢えて、やっと“中澤裕子”になれたんやから…
これから、改めてスタートするんやから…こっからは、自分の力だけで動かな。」
「…うん、わかった。」
中澤がさっきと同じように頷く。しかし、先の返事とは明らかに違う返事だった。

「そおか…裕ちゃんは、ホンマえらいなぁ。」
妹の平家が、姉である中澤の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
昔、父親が二人の娘を誉めたときと同じ行動だった。
それが、決して馬鹿にした行動ではないことは、
手の平の温かさから十分伝わっていた。
152 名前 : 最終回・RESTART   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時45分13秒  
翌日

「みっちゃんは、これから何処行くん?」
「とりあえず、岐阜の方に行って、山が絡んどる写真も撮りながら店に戻るわ。
裕ちゃんは?」
「…まだ決めてへん。とりあえず、海沿い走りながら行き先探すのも、
ええんちゃうかなぁ…って、思うてな…」
「そおか…ほな…」
「ほな…」

余計な会話が無いまま、二つの自転車が別々の道を進む。

秋らしい高い青空の下、シャー、とチェーンが奏でる二つの音が
山から吹き降ろす乾いた風に流されながら、海の中に消えていった。
153 名前 : 原稿打ち合わせ室   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時46分26秒  
平家「あれ?まあた作者逃げよったか?」
中澤「逃げてへんで。」
平家「へっ?」
中澤「エピローグ見たら判るわ。」
平家「?…あぁっ!!?コレ…」
中澤「せやで。」
平家「せやったら、ウチは…」
中澤「あー…それはミスキャストやったな…」
平家「……………………」
154 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月07日(月)15時58分48秒  
というわけで、最終回の更新終了しました。

最終回といっても、番外編とエピローグがあるので、まだ続きますが、
とりあえず、最初の目的というか、当初決まっていた話の終わりということで、
この話を最終回としました。

次回更新は、この話の12話と13話の間の話ですが、自分の体験談のようなものを
散文っぽく書いてみました。
本編とはあまり関わりのない話になりそうですが、
もうちょっとお付き合いください。

それから、12話で実際には不可能なことがありましたので、言い訳させてください。
矢口が、自転車組立整備士の資格を取ったと書きましたが、後で調べてみた所、
受験資格は実務経験2年以上で、受験日が8月なので矢口の資格所得は
事実上不可能となります。
そこは、平家が、勤務年数を改ざんしたと言う事で誤魔化して下さい。
155 名前 : 名無し読者   投稿日 : 2002年10月07日(月)17時52分02秒  
最終回、更新お疲れ様でした。
感動しました(T_T)お父ちゃんかっこえ〜!
みんなそれぞれの道に歩みだしたんやな〜
エピローグ&番外編楽しみに待ってます!
がんばってください。

それにしても加護が出てきたことに驚きましたw
156 名前 : 名無し読者   投稿日 : 2002年10月07日(月)22時22分23秒  
更新お疲れ様です。
相変わらず皆カッケーっすね。またもや涙。
あとは番外編とエピローグだけになってしまいましたね。
楽しみにしてる反面、少し寂しいです。

この小説の影響で矢口のみたいなミニベロが欲しくてたまりません。今本気で考え中。
157 名前 : 名無しさん   投稿日 : 2002年10月14日(月)22時07分16秒  
完結おめでとう御座います。
質問なのですか、自転車と言うのはアセチレン溶接されているんですか?
それともアーク溶接ですか?
158 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時38分15秒  
>>155
レス有難うございます。

>お父ちゃんカッコええ〜

やっぱり子供の前では、父親はカッコよくなくっちゃダメですよねぇ。
それから、エピローグでも父親は出てきます。
個人的には、ウーゴ・デローザの様なイメージで書きました。
皆さんもあの頑固ジジィの顔を想像して読んでみて下さい。
(デローザの写真、うpしたかったけど、見つかりませんでした。)
それから、加護のBMXネタは、前のスレにも書きましたが、お蔵入りになったもので、あれは消し忘れでした。
でも、それを穿り返して書き込んでみた結果、話が纏りました。次回かその次に更新しようと思っています。
更に調子ぶっこいて、番外編も増やしてしまいました…
お陰で本当の完結まで、今回含めて3・4回は更新必要かもしんない…
159 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時40分04秒  
>>156
レス有難うございます。

>ミニベロが欲しくてたまりません。

ミニベロかぁ…いいなぁ。
私も団地の中をヘラヘラっと走れるよな自転車が欲しくて、値段で選んだBMX(フリースタイル)を買いましたが、コレが重いっ!!シャレにならないくらい重いんです。
私の場合、自転車は室内保管ですから、外に出すまでが面倒で、お陰で普段のアシは(と言うか、殆どの移動は)MTBになってます。

ミニベロは有名なメーカーでもあまり宣伝してないですが、種類は多いので色々探しながらゆっくり考えるのもいいんじゃないですか?
インスピレーションで店にあるものを買ってもいいと思いますが、店員さんと相談しながらあれこれ悩むのも楽しいもんですよ。
160 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時40分57秒  
>>157
レス有難うございます。

>自転車はアセチレン溶接ですか?アーク溶接ですか?

ぶっちゃけた話、私があのレスを見て最初に手にしたものは、外来語辞典でした。(w
ですから、“判りません”で終わらせようとも思いましたが、それではさすがに悪いので、手元にある本で調べてみました。

自転車のフレームは、現在、スチール(クロールモリブデン鋼とハイテンション鋼)、アルミ(6000番アルミと7000番アルミが主流)、チタン、カーボン、の4種類が殆どです。(ごく一部のメーカーではマグネシウムフレームも生産していますが…)
カーボンは金属ではないので無視するとして、チタンとアルミはTig溶接、スチールはTig溶接と、銀ロウを溶材として使うロウ付けの2種類になります。(強度と見た目で使い分けているようです)

157さんは溶接に関して少なからず知識があると思うので、これだけでも充分かと思いますが、私のほうが判っていないので、ネットで調べてみました。
161 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時42分57秒  
Tig溶接は、アーク溶接の手アーク溶接のTig溶接(要するにTig溶接はアーク溶接の一種)ということまでは判りました。
アルミ製の自転車を見るとよくわかりますが、溶接部分がパテを盛ったようにさざ波状のなっている所(ビード)が細かくて綺麗なほど、溶接の強度が均一になっていると言われています。

最終回で父親が、溶接がいい加減でフレームに歪みが出ている、と指摘したのは“ビードが綺麗でなかったから…”と解釈して下さい。
それから、“ラグ”という言葉が出てきましたが、これはパイプとパイプを接続するパーツです。塩ビ管のパイプを繋ぐソケットのような物と言えばお判りでしょうか?
これを使うと剛性は落ちますが、強度にムラが出ないと言われています。(人によっては早く終わるとか、外れても何回か溶接できるから、とか言われてますが、それはマユツバものだという人もいます)また、この場合の溶接は、熱伝導による素材劣化が起きにくいのでTig溶接が多いようです。
162 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時43分28秒  
因みに“DE ROSA”は、そのビードの凸凹をやすりで削っていて、ロウ付けのような見た目にしています。
ウーゴ・デローサ曰く、“手間がかかるから、他のメーカーはやっていないんだよ。”との事。高価なわけです。

アセチレン溶接の方は、いろいろ調べてみましたがよく判りません。サイト内で“ロウ付けはアセチレン溶接の一種”と解釈できるような文章はありましたが、確証はありませんでした。
すいません。もうちょっと勉強させてください。
163 名前 : 12.1・帰宅途中の小さな冒険   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時46分30秒  
みっちゃん、おまたせー。

あ、中澤さん、もう帰っちゃったんだ…
そういえば、ドラマのダビング忘れた、って言ってたもんなぁ…

よいしょっと…

うわ…人多いなぁ…中学生もいるよぉ…
ああいうのって、横に広がって歩くからなぁ…
う〜ん…裏道入っちゃえ。
月は青くないけど、遠回りして帰ろうっと…
164 名前 : 12.1・帰宅途中の小さな冒険   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時48分23秒  
あれ?

うわぁ…駄菓子屋さんだ。
えーっと…うまい棒に、ラムネに…リリアン棒もあるぅ!

コドモのときは、リリアン出来なかったんだよなぁ…
よっしーも出来なかった、って言ってたし…

…平家さんだったら出来るかな?

まだ開いてるかなー?
「…ごめんくださーい!」

結局買っちゃったのは、リリアン棒と、すももと、麩菓子二本。
それから、糸がついたイチゴ飴は、はずれだったけど、
その場で口に入れちゃって…

これで幸せな気分になれるんだから、安いもんだよね。
165 名前 : 12.1・帰宅途中の小さな冒険   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時49分24秒  
ん?…この匂い…
こんな所に喫茶店あるんだぁ…

え?“水出し珈琲あります”…??

なんだろ?
水とコーヒー出すのかな?
…それじゃ、普通の喫茶店と変わんないよね。

うわぁ、きれー…
ガラス細工の店だぁ…
風鈴もいい音出してるし、きれーなコップもいっぱいあるぅ…

もう夏だしなー。
左ウチワで風鈴の音を聞きながら、きれーなグラスできゅーって…

…おじさんだよね。
中澤さんなら似合いそうだけど。
166 名前 : 12.1・帰宅途中の小さな冒険   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時51分07秒  
やっぱり夜になると、この辺も静かになるよねぇ…
っていうか、車の音がなくなるとどこでも同じだけど。

あ、カレーの匂いだ。
イシザカさんとこかな?
あそこのダンナさん、カレー好きだって言ってたもんなぁ…

…ウチの晩ごはんはどうしよっかなー?
確か、パスタ余ってたような…
キャベツも残ってたし。
よし。今日はキャベツをおひたしにして、冷やし中華っぽくしよう。

さぁ、みっちゃん、着いたよー。
167 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時51分57秒  
……うーんと…
あ、あったあった。

周りに田んぼと畑しかない一軒家。

今日お世話になるのはあそこでいいかな?
「すいませーん!!」

振り向いたのは、いかにも農家やってますっ、といった感じの50過ぎのおじさん。

「この先に、泊まれる所ってありますか?」
「…ね。」
「……そうですか…」

俯いて、わざと困った顔をしておく。
もちろん、ないのは判ってるんだけどね。

「どごまでいぐのっしゃ?(どこまで行くんですか?)」
「…あ、横手の方に行きたいんですけど…」

そこは最終目的地。
今日はこの辺で一泊したいんだよね。
168 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時52分32秒  
「あ”ー行げるわげねぇべっちゃや。(行けるわけないでしょ)」
「ほんとは、今日中に秋田に入りたかったんですけど…
パンク修理してたら、予定、狂っちゃって…」
「んで、しゃぁねぇなぁ…」

「うーん…雨風凌げるんだったら何処でもいいんですけど…」
「んで、うっつぁ、とまっでぐか?(家に泊まっていきますか?)」
来たっ!

「…いいんですか?」
「ものおぎでいいが?」
喜んでっ!!
169 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時53分03秒  
物置って言っても、明かりもあるし、風も入ってこないし、充分だよね。

とりあえず、コーヒーでも淹れて…
明日のルートも確認しておかなきゃ…

ガララッ
と、引き戸が開いて、そこにはさっきのおじさんの奥さんらしい人が…

「…フロ。」

…え?

「風呂でぎだがら、入いってがいん。」
「あ、いや…」
「いいがらいいがら。おぎゃくさんは、遠慮スねの。」
170 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時53分38秒  
半ば強引に納屋から引っ張り出されると、外にはうっすらと煙が…

薪の匂いだ…

煙ってあんまり好きじゃないけど、この匂いだけは嬉しくなっちゃうんだよねぇ…

ということは…
「ちょうど良いあんべぇだがら、早ぐ入いらいん。」

やっぱり、薪のお風呂だぁ!

大きな桶のような木の風呂釜に入ると、ちょっと温かったけど…

やっぱり、気持ちいいよねぇ…
疲れが取れていくのがわかるもん。

でも、それだけじゃないなぁ…

なんか、お湯がふわぁー、ってしてて、柔らかい…

コレが“遠赤外線効果”ってやつなのかなぁ…
171 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時54分12秒  
…あ、ちょっと寝ちゃった。

半分イっちゃった状態で、のろのろと湯船から上がると、
着替えのところには浴衣が…

浴衣で寝袋には入れないと思うけど、せっかく用意してくれたんだし…

「めし出来だがら、上がってございん。」
と、遠くから聞こえるさっきのおばさんの声。

「はーい!!」
よしっ、晩飯、浮いたっ!

「お邪魔しまーす…」

「おぅ、上がらいん、上がらいん。」
土間から上がって、居間のような所に行くと、おじさんが私を手招きする。
もう一人で晩酌してたんだ…
172 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時54分46秒  
ぺたん、とおじさんの向かいに座ると、
待っていたかのように大根とジャガイモの煮物が出されて…

「まぁまぁまぁ、煮付はヌげね(逃げない)がら…」
って言いながら、一升瓶を差し出してくる。

「え、あ、いや…」
「なんだや、酒だめが?」
「あ、好きですけど…」
「んだら、ちょっとぐれぇいっちゃや(なら、一寸位いいでしょ)。」

糸切り歯が欠けている、おじさんの妙に暖かい笑顔。

街中で見たら、ホームレスだと思って絶対に無視するんだろうけど…
なんでかな?
すごく優しそうに見える。

苦笑いしながら、手元にあるビールの銘柄が印刷されたコップを手にすると、
日本酒独特の音を立てて注がれていった。

あ、いい匂い…

一杯に注がれた所で、グラスを置いて、一升瓶を手にとる。
いつもはこういうのは苦手なんだけど…

「人に注ぐって事は、注いで欲しいって事ですよね?」
173 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時55分35秒  
「かんぱーい!!」

…あ、美味い。
甘口だけど、すっきりしてて、酸味もちょっとあって…
白ワインみたいだぁ。

「かーっ、うめなぁ…めんこい人さ注いでもらうど、味がツがう(違う)もなぁ…」
社交辞令なんだろうけど、本当に美味しそうに見えるから不思議だよねぇ…

「父ちゃんも、いっそほいなごどばり(いっつもそういう事ばかり)言っでぇ…」
おばさんが、白菜の浅漬けを持ってきたときに吐き捨てた言葉。
いかにも夫婦、って感じのいいツッコミだねぇ。
「だれぇ、うめぇもんはうめぇんだってや。」

なんか、裕ちゃんとみっちゃんみたいだなぁ。しばらくほっとこ。
174 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時56分22秒  
「これ、なんていう酒ですか?」

一升瓶のラベルを見ると、能面の写真と、“友笑”と書かれていた。

「こいづは、栗駒の地酒だ。うめが?」
「はい。」
…本当に美味い。後で店、調べとこ。

「んで、一本持ってぐが?」
「それはちょっと…自転車ですから。」
確かに美味しいから欲しいんだけど…
175 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時56分56秒  
私は殆ど喋らなかったけど、おじさんの話が上手くて、飽きなかったな…

なんだかんだって、気がついたら酒が半分以上なくなってた様だけど…
気のせいだよね。

そして、料理があらかたなくなって、次におばさんが出してきたものは…

「……?」
……!!!

…目が合っちゃったよぉ。
食事の席でこんなの出さないでよぉ〜

おじさんがにやにやしながら、その物体をつまんで口の中に放り込んだ。

放り込んだ…?
って、食べ物だったのぉ〜!?
176 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時58分27秒  
「なんだや、イナゴかねぇのが?(食べないの?)うめぇんだど(美味いよ)。」

うまい、って…虫だよ、虫っ!

「いいがら、食ってみさいん。」
おばさんまでぇ…

とりあえず箸で虫…だった物体をつまんで、口に入れてみると…
「…………あ、うまい…」

味は佃煮みたいに甘しょっぱかったけど、それよりも、
頭とか脚のコリコリとした食感が、結構いい具合に口に残るんだね。

あ、脚が歯に挟まっちゃった…
177 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)19時58分57秒  
時間も時間なんで、そろそろ物置に帰ろうと思ったら、
しっかり布団まで用意してくれて…
次の日も、朝ご飯まで出してくれて…
そろそろ出発しようと思って挨拶に行ったら、
お昼に…って、おにぎりまで持たされて…

さすがにそこまでされたら、お金出そう、って本気で考えたんだけど、
逆に失礼だと思ったから、後でお礼させて下さいって事で、
住所の交換だけはしておいた。

そのとき、おじさんが私の自転車を気にしていたのは、気付かなかったんだよねぇ…
178 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時00分00秒  
10日後

宅配便の不在伝票?

何時間かして、荷物を受け取ると、差出人は…
あ、あの日、お世話になった農家のおじさんだ。

箱を開けてみると、“友笑”と、白菜の浅漬けと…うわ、イナゴだ…

お礼の手紙出したときに、酒と白菜とイナゴが美味しかった…
って書いちゃったからなぁ…

酒はともかく、白菜とイナゴは私一人じゃ無理だよねぇ…

そういう時はやっぱり…

「あ、もしもし、裕ちゃん?…うん……明日さぁ、みっちゃんの店来れない?
…あ、ほんとに?…うん。旅行のお土産、私だけじゃ捌けなくってさぁ…
みんなに食べ……え?うーんとねぇ…宮城の地酒と…」

裕ちゃん、返事速っ!

でも、イナゴは黙っておこう…
179 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時00分52秒  
「こんばんはぁ…」
「おそいで!!」

…スポンサーに向かってその態度は何だよ!

…って、何で裕ちゃんがリリアンやってんの?

「…みっちゃんは?」
「まだ仕事やっとる。」

「あ、いらっしゃ〜い。」
って、顔を出したのは、アルバイトの…矢口さんだっけ?
確か裕ちゃんより、酒が強いって聞いたんだけど…

「あ、ごぶさたぁ〜」

…なんか、みっちゃん、疲れてるみたいだね。
なんか、やつれてるよ…

「あっ、裕ちゃん、勝手にリリアンやらんといて!!」
「せやかて、みっちゃん、全然進んでへんやん?」
「ウチはゆっくりやってるんやからええの。
やるんやったら、自分のやったらええやん。」

…みっちゃんもやってたの?
って、ここのマイブームはリリアン?

なんで??
180 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時01分23秒  
「―――それで、秋田に行く途中に、農家の家に泊めてもらったんだけど、
昨日、その家から、日本酒とか、お土産もらっちゃって…
なま物もあったから、ついでに持って来たんだけど…」
で、バッグから出した“友笑”とタッパー容器ふたつ。

「うわぁ!“友笑”やん!?」
「え?みっちゃん、この酒知ってるんだ…」
「うん。だいぶ前、お父ちゃんが買うて来たんやけど…
日本酒で初めて美味い、思うたんは、コレやったんやなかったかなぁ?」
なんだ、知ってたんだ…

「それは余ってもいいんだけどさぁ、こっちの方を捌いて欲しいんだよね。」

蓋を開けると、絶叫が…
「うわー、イナゴやん。懐かしいなぁ…」

…あれ?

裕ちゃん、イナゴ大丈夫なんだ……ちっ…

「羽根もちゃんととってあるで……うん。味付けもちょうどええわ。」
「あ、ホンマや。しょっぱすぎないな。」

…って、おい。

なんで二人とも平気な顔して食べられるんだよぉ…

しかも美味しそうに…
181 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時01分53秒  
あ、矢口さん、固まってる…
無理に笑顔作ってるけど、ほっぺた引き攣ってるよ。

「何や、矢口イナゴ食わへんのか?」
「あ、いや…矢口は…ちょっと…」
完全にイナゴから目を逸らしてる…
イナゴ駄目な人だな。

あーあ…裕ちゃんとみっちゃんの目付き、変わっちゃったよ。

「と、とりあえずさ…このお酒、飲んでみようよ。」
「その前にイナゴ食うてみぃ。」
「…………やだ…」

今日の人柱は矢口さんか…かわいそうに…
獲物を見つけたら、裕ちゃんとみっちゃんのコンビは最強だからなぁ…

「ほら、とにかく食うてみぃ。」
両腕押さえられちゃった…
抵抗してるけど、二人の前では無意味だよね。

あー、もう涙目になっちゃてるよ。
182 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時02分24秒  
「なんも怖いことないねんで。ちょぉ我慢したら、ごっつよぉなるからな。」
「い、いや……いや…」
「気持ち悪いんは最初だけやて。」
そこだけ聞いたら、二人ともスケベジジイだよ。

うわ、無理矢理口を開けられて…
今まで考えられない物体が、口の中に突っ込まれて…

「ぅぐーーっ!!ぐーっ、ぐーっ!!!」
「ちゃんと噛まな、喉に引っ掛かるで。」

原形留めてなかったら、美味いんだけど、カタチがリアルだからねぇ…
183 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時02分59秒  
Purrrrrrrrr…
「あ、電話や…」
「おもろいとこやったのに…」

やっぱりおもちゃにされてたんだ…

「…あ、はい……そうですか…はい……はい…わざわざすいません。」
Pi

「…やっぱなかったんか?」
「うん。」
「…どしたの?」
「20年位前の“平家”のランドナー、オーバーホール来たんやけど、
リアのハブにガタがきてんねん…」
「あぁ、エンド幅が狭いやつなんだ…」
「うん。せやから合うのがなくてな。問屋さんとか、
知り合いの店なんかにも電話しとるんやけど…難しいんちゃうかなぁ…」
184 名前 : 12.2・袖触れ合うも…   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時03分31秒  
「なんでまた、今更…」
「なんや、久々にココの自転車見て、また乗りたくなった言うてたな。」

「先代か?」
「せやろな?」
「何処の人やねん?」
「確か…宮城県の花山村やったな…」

……え?
この間、横手に行くときに通ったような…

もしかして…
「…みっちゃん、その人の住所見せてくんない?」

その住所が書かれたメモと、この間泊めてもらった所の住所が…
……やっぱり。

あのおじさんも自転車やってたんだ…

「…ねぇ…その自転車、出来上がったら、みんなで届けに行かない?」
「…みんなで?」
「うん。修理代を安くしておくと、
もれなく友笑とイナゴと薪のお風呂が付いてくると思うんだけど…」
185 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月17日(木)20時14分26秒  
はい、というわけで、番外編の12.1話と12.2話更新しました。
今回は、日常の中の、楽しい出来事をメインに書いてみました。

12.1話は、ほとんど私の体験談ですが、
12.2話は、私の高校の先生が、単車のツーリングをやっていたときの体験談で、
“田舎の人たちに泊まる場所を聞くと、大概納屋に泊めてくれて、
なし崩し的に晩飯と布団を用意してくれる。”
という宿泊テクニック(?)を教えてくれたことがあったので、それをネタにしてみました。
田舎の人が、みんなそんな人ではないので、あまり真似しないでください。

次回更新のことを考えると、やっぱりあと3回は更新しなければならないようです。
もうちょっとお付き合いください。
186 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時11分47秒  
はい、今回も調子ぶっこいて書いた番外編の更新です。
情景描写はあまり書いていない、いい加減で理解しにくいかもしれない内容ですが、
今回はあまり弄っていないキャラクターを使ってみました。
187 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時14分29秒  
「中澤さんは、秋待峠のベストタイムって何分ですか?」
「35分。」
「思ったより遅いんですね…」
「…ケンカ売っとんのか?」
「だって、中澤さんの自転車って、
買ったときから、殆どいじってないからじゃないですかぁ?」
「武器使うて速よなってもしゃぁないやん。」
188 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時15分00秒  
中澤さんは、レースとかに興味ないみたいだから、
自転車の軽量化とかもしてないみたいだし…

自分の脚力だけでタイムが縮んでいくのは、確かに面白いと思うけど…

「平家さんの自己ベストって、何分でしたっけ?」
「確か…25分の後半…」

いい加減に答えてるけど、それが“常連の間”の秋待峠ヒルクライムレコード。
189 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時15分33秒  
私の自己ベストは27分15秒。
登坂の2分差って、思っている以上に大きいんだよね…

もう10月だもんなぁ…

秋待峠も、もうすぐ雪が降るし…
そうなったら、4月頃まで自転車でいけないし…

来年は就職するから、チャンスは今しかないんだよね…
190 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時16分31秒  
「I'm burning to the sky yeah…(Don't stop me now/Queen)」
うわ…

「あ、いらっしゃ〜い…」
「…あ、矢口、みっちゃん、どないしたん?」
「うーん…よくわかんないんだけど、
問屋さんから帰ってきてから、機嫌いいんだよねぇ…」
やっぱり…

「今日は、早よ帰っとき。」
「何で?」
「何でか判らんけどな、みっちゃんがあの歌歌うと、面倒なこと起きんねん。」
191 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時17分01秒  
「あ、裕ちゃん、いらっしゃ〜い。」
「あ、ど、ども…」
やっぱ、ごっつ機嫌ええでぇ…

「…何や、他人行儀やな?まぁええわ、ちょぉ座ってぇな。」
「あ、いや…ちょぉ用事が…」
「ええから座ってぇな…」
いつもはイヤそうな顔しとるのに…

「…どないしたん?」
「今日な、問屋さん行ったらな、チクワがあってん。」
192 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時21分18秒  
「竹輪?そんなんスーパーに行ったら、何処にでもあるやん?」
「なんで自転車の問屋に行って、竹輪買わなあかんねん?」
「竹輪言うたんはみっちゃんやん?」
「C4(チー・クワットロ)のほうやて。
それの“MAGIK”のデッドストックがあってな、
それがウチのサイズとぴったりなんよ。」
「…買うたん?」
「うん。6万で…」
「叩きよったなぁ…」
(レートによりますが“C4 MAGIK”はフレームのみで約23万円)
「せやから、カンパの9速レコードと一緒に8万で買うてきた。」
「はぁっ!?」
そういうのを、世の中では“ぼったくり”言うんちゃうか?
193 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時21分55秒  
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ………

私が平家さんに勝てるかも知れないのは、今日が最後だろうなぁ…

でも…大丈夫。

この日に備えてトレーニングもやったし、
愛しのパンターニ様にもお願いしたんだから…

“BRIKO”の視界も綺麗だし、上だけ見て走ろう。
194 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時22分26秒  
今日の私はカラダにキレがあるし、ペダルも軽い。
そして…なにより暑くない。

いつもより一段重いギアで走れる。
うん。コレならいけるかも…

…展望台がみえてきた。

やっぱりいいタイムが出そうだ。
間違いなく自己ベストは更新できるっ!
195 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時23分13秒  
「石川ぁ〜がんばってんなぁ〜」
!?

へ、平家さんっ!!?

私の方が展望台に先に着いたけど…
私に追いついたって言うことは…
どう考えても私より速いって事…だよね?

私のタイムは…25分18秒…
自己ベストは更新したけど…

「23分54秒…よっしゃ!自己ベスト更新やっ!!」
……やっぱり、平家さんには敵わないのかなぁ…
196 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時23分48秒  
その日の夕刻の“常連の間”…

「なからわさんっ!!きいてるんれすかっ!?」
「き、聞いてるで。」
誰や?こいつに酒飲ませたんは…

「…だいたい、へーけさんがあんなの乗るなんてひきょーれすよ!!」
「う、うん…せやなぁ…」
めんどくさそーな酔っ払い方しとるし…
197 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時24分59秒  
「せやけどなぁ…自転車変わっても、エンジンは同じなんやからな…」
みっちゃん、火に油注ぐような事言うとるし…
…って、まだ石川に飲ませるんか?

「それに、石川の“Bianchi”は山岳用やろ?
やっぱ、その程度の実力って事やで。」
うわ…とどめ刺しよったでぇ…

「だ…だって……だってぇ……
うっ…うぇっ……ふぇっ…ふぇっっ…ふええぇぇぇぇーーーん!!!」
あーあ…とうとう泣きよったわ。
198 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時27分49秒  
「なからわさぁぁぁーん!!」
うんうん、可哀いそーになぁ…って、離れんかいっ!!
汗臭いカッコで抱きつくなぁっ!!

「わたしもパンターニ様のレプリカ買うぅぅ〜」
「あーはいはい。」
勝手にせぇや…

「…なからわさん、買ってください。」
「あーわかった、わかった…って、えぇっ!!?」
199 名前 : 12.3・Forza!!   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時28分19秒  
「ほんとですかぁ?」
ちょ、ちょぉ待て…
なんや、その少女漫画のような目は?

「裕ちゃん、まいどっ!」
…………みっちゃん。
その…丁稚のようなもみ手は……どーゆー意味なん?

「I wanna make a supersonic woman of you…」
……おい。
「ど〜ん、すとっぴ〜な〜ぅ(Don’t stop me now)…」
………おいっ!
200 名前 : 12.4・山の中の小休止   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時30分20秒  
安倍と保田の二人は、久し振りに休みが重なって、
MTBで近くの山に散策に来ていた。

――よっ…

安倍が、踏み固められた林道を横断している木の根っこを飛び越えていく。
着地しても、身体は全くぶれない。

――相変わらず、うまいねぇ…

毎度の事ながら、安倍のバランスの良さには感心してしまう。

そう思いながらも、保田も数メートル遅れて、
安倍の走った難しいはずのラインを、当たり前のようにトレースしていた。
201 名前 : 12.4・山の中の小休止   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時31分07秒  
二人とも、相手の気心を知っているためか、
自然と、お互いの一番楽なスピードで走っていく。

自然に囲まれた、のほほんとした空間と、
時々訪れる、ほんのちょっとの緊張感。

生き物としてのヒトが、最もヒトになれる至福の場所…
二人は、そんな空気の中をゆっくり漂っていた。

――おっと…

保田がブレーキを握る。

――丸太の橋の上でスタンディングできるんだもんねぇ…

安倍が、丸太の橋の上で、脚を着かずに自転車を停め、沢の下流を指さした。
202 名前 : 12.4・山の中の小休止   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時31分37秒  
その橋を渡ったところで、林道を外れて、ガサガサと乾いた音を立てながら、
笹が隙間なく生い茂っている沢沿いを下っていく。

――いくらMTBでも、道を選びなさいよ…

安倍の口元が緩む。
沢を下ると何かがある。
そんな野生の勘のようなものが、安倍の身体を下流へと引っ張っていた。
203 名前 : 12.4・山の中の小休止   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時32分18秒  
――わぁ…

沢の終わりは、地図にも載っていない湿地帯とミズバショウの群生地。

安倍が珍しく脚を着いた。
保田も少し距離を置いて、自転車を停める。

保田の方に顔を向けて、唇に人差し指を当てて、
もう一つの手で、ミズバショウの端の方を指さす。

その先を見て、思わず保田の顔が綻んだ。
204 名前 : 12.4・山の中の小休止   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時32分50秒  
――これだから自転車の山遊びはやめられないのよねぇ…

すべての音が、水に吸い込まれているような空間の中、安倍の指さした先には、
つがいと思われる二匹のハクビシンが、水を飲みにやってきていた。
205 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月22日(火)16時38分18秒  
というわけで、12.3話と12.4話を更新しました。
10月とかミズバショウが出てきたりと、時期的に難しい部分もありましたが、
何とかまとめることができました。

次回更新は、今週の後半にできるかと思いますが…ちょっと自信はありません。
いつものように更新の最後はageますので、そのときまでお待ち下さい。
206 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)15時58分26秒  
あの時は、はっきり言って怖かったわ。
あれさえなかったら、絶対ウチが負けとったやろなぁ…
207 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)15時58分59秒  
「おっ、久し振りやなぁ…」
客足が途絶えて、“常連の間”で平家が一服していた夕方、
辻希美が裏口のドアを開けて、顔だけ出して中の様子を伺っていた。

「………中澤さん…来てますか?」
彼女も中澤が苦手なようだ。
「来てへんよ。早よ入り。」
平家の言葉と手招きに、にへらっ、と笑って、漫画なら“ててててっ”
と擬音が付きそうな歩き方で“常連の間”に入ってくる。
208 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)15時59分29秒  
「お土産です。」
辻が持ってきたのは、近くのコンビニで買ってきたのだろう、
最近発売された缶コーヒーと玉子ボーロ。

「なんや、差し入れか?気ぃ使わんでええのに…」
平家は一瞬“なんで?”といった顔をしたが、
それが彼女の精一杯の気持ちなのだという事に後で気がついた。
それよりも平家にとっては、辻の笑顔の方が可愛くて仕方がなかった。
209 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時00分15秒  
「あの…平家さん…」
「ん?」
「あいぼんの自転車って、平家さんのお父さんが造ったんですよね。」
「あー…あの“平家”のBMXか?」
「はい。」
「確かにウチのお父ちゃんが造ったモンやで。」
「あれって、平家さんが造ると、いくらするんですか?」
「あれは、ごっつ金掛けたからなぁ…確か、全部で20万やったと思うけど…」
「そうですか…」
辻が、俯きながらボソッと呟いた。
その、いつもと違う辻の表情に、何かあると感づいた平家が、
本題に入り易いように辻を促す。
「…なんや、自転車壊れたんか?」
「いえ……平家さんの自転車なら、あいぼんに勝てるかな、って思って…」
210 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時00分47秒  
「あ、もしもし、カオリかぁ?…うん。おかげさんで…そっちもええらしいやん?………え?うちはあんまかわらへんなぁ…あ、せやのうて……
明日、辻がそっち行くかも知れへんから……いや、一人やと思うけど……
うん。……え?直接話聞いたってな。」

“あいぼん、秋にアメリカに留学するって…”

“X−Gamesに出たいから、って…”

“もう、あいぼんとは逢えないかも知れないから…”

“だから、絶対忘れて欲しくないから…”

――せやから“加護に勝ちたい”か…
211 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時01分21秒  
辻に“あいぼん”と呼ばれている娘、加護亜衣は、辻と年齢も趣味も同じで、
親友という文字を形にしたように仲がいい二人だったが、
その同じ趣味のBMXには、明らかに実力の差というものがあった。

加護には自転車を操る事(特に身体のバランス)において、
誰が見ても判る天性の才能があった。
一方、辻は加護にはない絶対的な脚力があって、
二人が始めた当初は、ほぼ互角だったが、加護も徐々に脚力をつけ始め、
レースにおいて、二人の差は確実に広がってしまった。

その、二人の最後のレースになるであろう
“狢沢BMX Jam”で加護に勝ちたいと言うのだ。
212 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時01分54秒  
平家は、辻の手助けをしてくれるであろう、飯田の店に行くように言っておいた。
「後は、辻の気持ちの問題やなぁ…」

――ウチかて、お父ちゃんに勝てるんは、コレしかないかも知れんし…

飯田に掛けた電話を見ながら、平家の耳元で、もう一人の自分が囁いていた。

父親を“平家”ブランドの製作者から“House”ブランドの師匠、
と言わせるためのいいチャンスだと…
自分が父親を超えるためのいい機会だと…
213 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時02分28秒  
2日後

「ちょっとぉ、みっちゃん、どういう事!?」
[Common House]が開店して間もない頃、
自分の店から帰宅する途中の飯田が、ずかずかと店内に入ってきた。
(今更ですが、ホストクラブって、am8:00頃閉店らしいんですよね。)

「あ、いらっしゃ〜い。」
「カオリの店にのんちゃん行くように言ったの、みっちゃんでしょ!?」
飯田はかなり苛立っているようだった。
しかし平家は、この事を予想していたかのように、
ごく普通の顔をして、ごく普通の返事をする。

「…せやで。」
「カオリだったら、のんちゃんの言う事何でも聞くと思って、
店に行かせたんでしょぉ?」
「あ、判ってもうた?」
「“判ってもうた?”じゃないでしょぉ…」
「せやけど、あの顔見るとな…」
「カオリもそうだけどさぁ…」
214 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時03分01秒  
平家は自分の話のペースを掴むように、ゆっくりと作業用の椅子から
立ち上がり、わざと悲しそうな顔をして飯田に話し掛けた。

「なぁ、カオリ…考えてみぃや。加護がアメリカ行くんやで。」
「聞いたよ。」
「辻はな、加護とずっと友達でいたい言うてんねんで。」
「…うん。」
「もう、二度と一緒に走れんかも知れんねんで。」
「……うん。」
「自分を忘れられるのが嫌や、言うてんねんで。」
「…………」
平家の瞳の奥が光る。

――涙目になっとる。もう一押しや。

「カオリがちょぉ助けてやるだけで、二人が繋がっていられんねんで。
判るやろ?」
「………うん。」
「せやったら、一肌脱いでぇなぁ。」
「…………判った。」

――おしっ…スポンサー決まった!

夜の仕事が長く、人情モノの口説きには馴れているはずの飯田だったが、
辻の事に関しては、飯田が何とかしてくれると思っていた。
やはり平家の方が駆け引きは一枚上手だったようだ。
215 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時03分41秒  
平家は早速、辻のため(だけ)のBMXのデザインに取り掛かっていた。

『あのBMXは、加護に惚れとんねや。せやから実力以上の結果が出せんねん。』
以前、父が、加護のBMXをこう評価していた。

自転車にそんな感情があるわけがないのだから、
一般的な意味では、加護が“平家”のBMXを知り尽くしているという事で、
先の言葉は父親独特の解釈なのだろう。

“自転車は使ってナンボ”
“オーナーのために自転車を造れ”
平家が自転車を造るときに、父親からよく言われていた言葉。

その父親が、加護のBMXをそのように評価しているのは、
あのBMXがそれだけ加護に合っていたという事だろう。

――確かに、今の加護に付け入る隙があるとは思えんしなぁ…
216 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時04分16秒  
加護はBMXをオーダーしたときに、フレームが漕ぐ力を吸収しないように
剛性の高いものを求めていたのを憶えている。

実際、平家も試乗した時に、アルミのロードバイクかと思うような
硬い乗り味で、クロモリ特有のショックを吸収するような感じは
なかったはずだ。
体の柔らかい加護には、気にすることではないのだろうが、
フレームが硬すぎるということは、BMXのダートコースでは、
地面からのショックをそのまま受け止めて(タイヤが弾んで)、
タイヤと地面の食いつきが悪くなってしまうこともある。

そんな事を無視して、力で捻じ伏せるような辻の走り方では、
加護と同じような硬い自転車は、逆に遅くなってしまうかもしれない。
だからといって、辻の推進力も吸収してしまうような、
柔らかいだけのフレームでは辻の個性も潰れてしまう。
217 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時04分46秒  
剛性と柔らかさの両立。
平家が、父親のBMXを超えることが出来るとすれば、
それしかないと考えていた。

しかし、言葉では簡単だが、先の二つの言葉は全く反対の意味でもある。
フレームのパイプを細く、長くすればいいのだが、乗り手の体系の問題もある。
せめて、ステー(後輪を支えるパイプ)さえ長くなればいいのだが…

「ステーが長い自転車かぁ…」
オーダーシートから目を離し、椅子の背もたれに体を預け、
軽く伸びをしたとき、店に展示してあった“GT”の自転車が目に入った。

――…トリプルトライアングル?

シートステーとトップチューブが溶接されているデザインで、
フレームの前半分と後ろ半分とシートチューブの上部に3つの
三角形が出来ることから“GT”のフレームの別称として呼ばれている。
剛性があるフレームだが、決して硬いだけではない。
シートステーは長くなるし、技術的にも難しくはないが…
218 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時05分21秒  
剛性と柔らかさの両立。
平家が、父親のBMXを超えることが出来るとすれば、
それしかないと考えていた。

しかし、言葉では簡単だが、先の二つの言葉は全く反対の意味でもある。
フレームのパイプを細く、長くすればいいのだが、乗り手の体系の問題もある。
せめて、ステー(後輪を支えるパイプ)さえ長くなればいいのだが…

「ステーが長い自転車かぁ…」
オーダーシートから目を離し、椅子の背もたれに体を預け、
軽く伸びをしたとき、店に展示してあった“GT”の自転車が目に入った。

――…トリプルトライアングル?

シートステーとトップチューブが溶接されているデザインで、
フレームの前半分と後ろ半分とシートチューブの上部に3つの
三角形が出来ることから“GT”のフレームの別称として呼ばれている。
剛性があるフレームだが、決して硬いだけではない。
シートステーは長くなるし、技術的にも難しくはないが…
219 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時05分52秒  
パソコン上に浮かび上がったデザインから、
素材の張力とパイプの厚さを選び出し、
撓り具合を計算しながら、理想の形をデザインしていく。

――物理嫌いやったからなぁ…

それでも素人には判らない、アルファベットと数字の羅列を睨みながら、
フレームのスケルトンが微妙に変化していった。

数日後、パソコン上での図面がちゃんとした形になった時には、
すでに製作の時間が一日の猶予もなくなっていた。
220 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時06分24秒  
しかし、たとえこの自転車が、平家の想像通りの出来だったとしても、
出来上がってからレースまでの時間はないし、
辻がすぐに乗りこなせる物だとは思えなかった。

――もう一人、手伝ってもらわないかんなぁ…

「あ、もしもし…なっちかぁ?……うん。ちょぉ頼まれてんかぁ?
…いや、裕ちゃんやのうて………え?……あぁ、大丈夫やと思うけど…
なっちの“Zip”暫く貸したってくれへんかぁ?……うん。
……あのなぁ、辻がな…」

そのために、もう一人の協力者、安倍なつみに電話をしていた。
221 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時06分54秒  
そして、イベント当日…

「あれ?みっちゃん、来てたんだ?」
会場をふらついていた平家に声を掛けたのは、実行委員らしき中年の男性。
「あ、どうもご無沙汰してます。」
「そういえば、このイベント、久し振りだよね。加護ちゃんの応援?」
「それもあるんですけど、辻がウチのBMXで走るんで…」
「じゃぁ、親子対決になるのかぁ…」
「だといいんですけどね。」

一緒にイベントに来ていた飯田が、後ろから声を掛ける。
「…みっちゃんの知り合い?」
「うん。この業界、狭いしな。特にBMXは全国レベルで繋がっとるから、
殆ど顔見知りみたいなもん…あっ、ホシザワさん、その節はどうも…」

――何処の世界も同じなんだね…
222 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時07分39秒  
当日の朝になって、やっと組み上がった“House”のBMXを、
辻が初めて見たときは、あまりいい顔はしていなかった。
「なんか…カッコわるい…」
「しゃあないやん。1ヶ月以上前やったら塗装も出来たんやけどな。」

当然と言えば当然だが、
依頼からたった3週間後の今日の大会に間に合わせたために、
業者に塗装を依頼する時間がなく、(外注の場合は約2週間かかるらしいです)
無塗装で溶接跡が残ったままのフレームを組み上げていたのだ。
しかし、ブランド名の“House”と、スポンサーの
“SILVER CROW”のステッカーだけはしっかり貼っていた。

「大会が終わったら、後で塗装すればええんやし…文句は乗ってから言いや。」
しかし、辻は自分のイメージとはあまりにかけ離れた自転車だったので、
平家への小さな抵抗として、
お気に入りのキティちゃんのステッカーを、その場でいくつか貼っていた。

――辻ほどの腕やったら、乗った瞬間に判るはずや…

そう思いながら、初めて乗る自転車の感触を確かめるように
ゆっくり漕いでいる辻を眺めていた。
223 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時08分09秒  
通常のBMXのレースは、3〜400mのコースを、2回の予選を行った後、
上位数名が決勝に進出する方法だが、参加人数が少ないこの大会だけは、
予選は一人ずつのタイムトライアルになっている。

辻と加護は、年齢から、ジュニア部門に登録しているが、
加護は2年前から予選のタイムトライアルで、
女性全体のコースレコードを保持している。

辻の今回の目的は、親友としてだけではなく、
ライバルとしても忘れられないようにと、
レースに勝つことよりも、そのレコードを更新して、
自分の存在を加護の記憶に残すことだけを考えていた。
224 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時08分49秒  
「みっちゃん、あの自転車ってどうなの?」
辻が試し乗りをしているときに、飯田が不安そうに話し掛けた。
「どうって?」
「あいぼんのより性能はいいの?」
「ポテンシャルは自信あんねんけど…」
平家が俯いて言葉を濁しながら呟く。
辻が、新しいBMXの特徴である柔らかさに違和感を感じないように、
DHバイクのサスペンションに邪魔されないような乗り方ができたのか、
自信がなかったからだ。

「…けど?」
「パイプはローバイク用のモンやからごっつ軽いんやけど、
今までと違て、ごっつクセあるし、剛性はギリギリやから…
下手すりゃ予戦でボロボロになるかもしれんねん。」
「マジでぇ?」
元々、脚力で今までの結果を出している辻だが、
その推進力を多少犠牲にしても、加速の安定感と路面追従性を重視して、
フレーム素材は、クロモリ鋼で最も軽いコロンバスのウルトラフォコを使用し、
軽さから来るギア比も、今までの辻の自転車より若干重くして、
漕いだ時の感触は、今までの自転車と違和感がないようにしていた。
225 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時09分21秒  
「まぁ、それが辻のオーダーみたいなモンやし…」
「…………」
「なっちに頼んで、ライディングを変えてもろたから大丈夫やと思うけど…」
「なっちに?」
「辻のバランスがようなる様に、“Zip”で練習させてもろた。」

平家は、辻と加護の実力差は、コースのライン取りと、
スタートや着地後の加速の差にあると見ていた。
そのために、キックバック(漕ぐ力をサスペンションが吸収してしまうこと)
がある自転車で、先に書いた違和感の解消と、
着地時のバランスの悪さから来る、加速までのタイムラグを減らして、
少しでも加護の個性に近づけるように安倍に依頼しておいた。
226 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時09分51秒  
「これ、すっごいいいですよぉ〜」
自転車の外観には納得していなかった辻だが、
性能の方にはかなり満足していた。その言葉以上に彼女の顔が物語っていた。

――っつー事は、なっちが上手く教えてくれたっつー事やな…

「そおか?せやけどそれは、
なっちに教えてもろた乗り方が、出来るようになったからやで。」
平家も目尻を下げて、
ニヘらっとした顔をしている辻の頭をポンポンと叩きながら笑っていた。

――うん。今の辻やったら、加護に勝てるかも知れへん。

ギリギリまで、この方法で良かったか自信がなかった平家だが、
目の前の小さなオーナーの評価で、不安が一気に吹き飛んだ。
227 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時10分26秒  
そしていよいよBMXレース、予選タイムトライアルが開始された。

“いい?コースを100回走ったら、
100回同じラインで走れるようにコースを頭に叩き込んでおきなよ。”

「大丈夫。何度もコースを見て、ちゃんと憶えました。」
スタート台に向かいながら、安倍が教えてくれた言葉を思い出す。

“スタートの漕ぎ出しだけでもタイムは変わるから、そこは一番集中して。”

「前輪でゲートを押し倒すようにスタート、でしたよね。」

辻のスタートを、実況ブースのDJが煽り立てる。
しかしそんなものはなくても、ギャラリーがスタートの瞬間で、
“この選手は速い”と感じ取り、一斉に歓声が上がった。

それだけではない。
特に昔からの関係者は、平家がこの会場にフレームを持ち込んで来た、
というだけで、このタイムトライアルに注目していた。
すべての自転車において、今は伝説とさえなっている“平家”ブランド。
その直属の後継者である“House”のBMXがスタートしたからだ。
228 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時11分13秒  
“クランクの回転を意識して。最初のジャンプは遠くに飛ぶ必要はないから。”

――クランクの回転が落ちてない!

“最初のコーナーはスピードを落とさないで、最短距離を走ること。”

「よしっ、スムーズに曲がれた。」

“次のコーナーはバンクを利用してスピードを殺さないように。”

「…上手くバンクのラインに乗れたっ!」

“細かいギャップは、リズムよく漕いでいけばスピードは落ちないから。”

「……スピードは落ちてない。」

DJが絶叫のような実況を続け、ギャラリーを更に煽る。
それとは裏腹に、歓声が少しづつどよめきに変わっていった。

“おい、マジかよ?” “こいつ、速いぞ。” “レコード更新か?”
その証拠に、中間のタイムを表す電光掲示板は、
加護が2年前に出したレコードを0.2秒上回っている数字だった。
229 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時11分48秒  
“最後の三つの山は、その時のスピードで、
一気に越えるか、一つ一つ越えるか考えて飛ぶ事。”

「このスピードなら一気にいけるっ!」
ジャンプした瞬間、ギャラリーの中の平家が顔を顰めた。

――あかんっ!

ガンッ!!!……………………
230 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時12分18秒  
「…残念やったな。」
「平家さん…」
「でも…あいぼんも、のんちゃんの走りは忘れないと思うよ。」
「飯田さぁん…」

結果は、3つ目の山に後輪を引っ掛け、着地に失敗。
その時の転倒のタイムロスが大きく、予選を7位で通過。
決勝には進出できたものの、予選にすべて集中していた辻は、
完全に緊張の糸が切れ、決勝は10人中8位という結果に終わった。

辻の顔は完全に項垂れていて半べその状態だった。
予選でも決勝でも加護に勝てなかった事よりも、
平家と飯田と安倍が自分に協力してくれたにも関わらず、
それでも結果を出せなかったことが悔しかった。
231 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時13分11秒  
「あ、ほら、あいぼんが来たよ。」
加護が友人達と辻の方へ歩いてきたが、
目があった瞬間、視線を落とし、辻と目を合わせようとしない。
「あいぼん…」
掠れた声で、加護に声を掛ける。

「………忘れへんから…」
「え?」
加護が、辻の傍で立ち止まった。
「絶対忘れへんから…」
辻に向かって小さく呟いたが、視線は相変わらず落としたままで、
辻には向けられていなかった。

辻の最後の転倒がなかったら…
加護は予選の走りを見たときに感じた、辻から発せられる熱と、
それにたじろいでしまった自分の脆さを思い出し、
その時に粟立った肌の気持ち悪さがぶりかえして来た。
232 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時13分41秒  
追われる恐怖感。
辻の顔を見ることで、自分の弱さを見透かされるかもしれない事を、
本能的に感じ取っていたのだろう。

「うん。」
それでもそんなことはお構いなしに、明るく加護に返事をする。
そのたった一言で、加護の恐怖感は簡単に拭い去られた。

ののとあいぼんは友達なんだと…
自分が常に優位に立ちたいと思っていても、
それを逆転される怖さがあったとしても、
二人は親友なんだと…
233 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時14分11秒  
「……せやから…アメリカ行って力つけたら、必ずここに帰ってきて、
誰にも敵わなへんような走り見せつけたる。」
それでもやっぱり、自分の弱さは見せたくない。
「うん。」
「それまで……それまで、ののも頑張ってな。」
「うんっ!」
234 名前 : 12.5・忘れないから…   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時14分41秒  
「のんちゃん、よかったね。」
「うん。」
「来年は、あいぼんのコースレコード塗り替えとかなきゃね。」
「せやったら、もっとええ自転車買わないかんなぁ?」
平家が中腰になって、辻の肩を抱きながら飯田を見上げる。
「そうですね。」
それにつられて辻も飯田を見上げる。

「………なんでみっちゃんものんちゃんもこっち見んの?」
二人の視線と含み笑いが、なぜか飯田には痛く感じた。

夏らしくない乾いた風が、イベント会場と三人の身体を吹き抜け、
今まで行き場を失って、燻っていたギャラリーと選手達の熱を、
砂埃と一緒に連れ去っていってくれた。

また、ここに集まった人間が、熱い何かを叩きつけられるように…
235 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時18分55秒  
はい、というわけで、12.5話お蔵入りになった辻加護のBMXネタ、終了しました。

次回でやっと完結・・・と言いたかったんですが、私事により、暫くpcを見ることができない状態になってしまいまして・・・
そういうわけで、今回で一気に完結させます。
236 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時22分34秒  
「“…消えていった。”…っと。はぁーーー…終わったぁ〜」
遠視用の鼻眼鏡に、何日か風呂に入っていないであろうボサボサの髪、
どてらとスエットパンツが妙に似合っている中澤が、
パソコンのモニターから目を離し、大きく伸びをする。

「お疲れ様です。さぁ、次は雑誌のコラムですね。」
「ん…その前に、一服…」

そう言いながら、席を立とうとする中澤を制止する両腕。
「なぁに言ってるんですかぁ〜…さ、一気に書いちゃってください。」
「そないな事言ってもなぁ…頭の切り替え、っつーもんが…」
「あのね、先生…」
「……後藤なぁ、その“先生”言うのやめてくれへん?」
「だって、先生じゃないですかぁ?」
「いや、確かにそうなんやけど…」
中澤が閉口した顔をして、そばにおいてあった孫の手でバリバリと頭を掻く。
237 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時23分42秒  
あれから、一年かけて日本中を走り回った中澤が、
それをエッセイとして出版して、2年が経とうとしていた。
そのエッセイがヒットして、今では“売れっ子作家”中澤裕子として、
地元のテレビや原稿のスケジュールに追われる毎日となっている。

本人は“美人”という肩書きが付いていないので、
あまり気に入ってはいない様だが…

仙人社も今まで勤めていたコネを利用して、執筆を依頼している。
その“美人作家”中澤裕子の担当として後藤が選ばれた。
238 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時24分21秒  
「先生ぇ〜」
「せやから、“先生”いうのやめぇ、言うとるやろ!!」
「だってぇ…」
後藤が、主人に怒られた飼い犬のように、しゅんとなって肩をすくめる。
いくら元先輩としても、今は担当として色々世話になっている、
後藤の困った顔を見ると、いつもの事ながら、中澤も何も言えなくなる。

「……あ”ーーーわかった、わかったから…なっ?
……はいはい、先生は何をすればいいんですかぁ〜?」
「一昨日まで、原稿上げて下さい。」
さっきの困った顔が一瞬にして消えて、感情のない仕事用の顔になる。

――こいつは…

「何とか頼み込んで、今日の23時まで延ばしてもらったんですよぉ〜
それまで印刷所に持って行かないと、原稿落ちちゃって、
後藤のボーナス無くなっちゃうんですよぉ〜
この間買った“DE ROSA”のローン、まだ残ってるんですからぁ…」

――素人がそないなごっついモン買うからや…
239 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時24分51秒  
「だから早く原稿上げて下さいよぉ…」
「…せやったら、なんか食いもん買うて来てくれるか?
その間に何とか進めとくわ。」
「はーい!!」
中澤から渡された5000円札を握り締め、勢いよくコンビニへ出かけた。
…と思っていた。

――さてと、邪魔者は居なくなったし…

“鬼の居ぬ間に…”ということで、中澤も“RAVANELLO”を持ち出し、
[Common House]へ向かった。
240 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時25分26秒  
「おばちゃーん、パンク…」
「おばちゃんじゃないでしょ!おねーちゃんでしょ!!」
「……おねーちゃん…パンク…」
矢口が店の前で、同じ身長の小学生を相手に、本気で怒鳴っている。

――矢口もごっつい事しとんねんなぁ…

あれから[Common House]も、
[SILVER CROW]の常連客にも知られるようになって、
順調に売上を伸ばして、最近飯田から買い戻すことが出来た。
後から聞いた話では、飯田はここの土地だけを買い取ったらしく、
返済は思ったより楽だったらしい。

矢口も、相変わらずここの居心地がいいのか、独立の資金がまだなのかは
判らないが、今は店長として、接客をメインにこの店全般を任されている。
「あっ、せんせー!!」
241 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時25分58秒  
――矢口も“先生”かい…

半ば呆れた顔をして、“RAVANELLO”を引きずりながら、
店の入口まで歩く。

「しばらくだねぇ…」
矢口が腰に手を当てて、中澤の顔を見上げる。
「仕事が忙しくてな…ちょぉ、逃げて来たんよ。あ、お父ちゃん居る?」
「うん、いるよぉ。お客さん来たから、まだ奥で話してると思うけど…」
「…お客さん?…ウチの知ってる人か?」
「うん。」

――…誰やろ?
242 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時26分28秒  
「あ、先生、早かったですねぇ〜原稿出来たんですかぁ〜?」

――うわ…

中澤が“常連の間”に顔を出すと、父親と談笑している後藤の姿が…
しかも笑っているのは顔だけで、目付きや言葉使いは思いっきり尖っている。

――矢口の奴、わざと名前言わんかったな…

「あ…いや……もうちょっと…」
それを聞いて、後藤の目付きがすぅーっ、と細く、鋭くなる。

「あの…“DE ROSA”のローンなんですけど…
この方が払ってくれるそうなんで…」
「そおか…ほな、名義変えとこか…」
「ちょ、ちょぉ待て。」
「じゃぁ、早く書いてください。」
「…だ…大丈夫やて……………………………………に…23時までやろ?」
一応、担当者に向かって言っているので、強がってはいるが、
その声が明らかにに震えているのが、自分でもわかる。
243 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時27分03秒  
「…本当に大丈夫なんですかぁ?」
「ウチが原稿落とした事あるかぁ?」
「あるっ!」

――速っ…

「…すんません。」
実際、中澤は締め切り前に原稿を上げた事は数えるほどしかなく、
いつも後藤がその尻拭いをさせられている。
そういった意味では、後藤に頭が上がらない。

「あ、そういや、課長から電話掛かって来たで。」
もちろん嘘なのだが、とりあえず後藤にこの場から離れて欲しかった。
「あっ!会議の事、すっかり忘れてたぁ〜」

――本当やったんか?
244 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時27分39秒  
「…久し振りやな?」
「せやなぁ……作家がこんなに忙しいモンだとは思わんかったわ…」
中澤が父親の向かいのソファに腰を降ろしながら、大きな溜息をつく。
「まぁ、仕事がある、っつーのは悪い事やないしな…」
「確かにそうなんやけど…」

「お父ちゃん…って、あれ、裕ちゃん来とったん?」
ソケットレンチで肩をたたきながら、作業場から顔を出した平家が、
中澤を見つけて声をかける。

「ちょぉ、欲しいもんがあってな…」
「矢口には言うたん?」
「矢口では無理やねん…あ、みっちゃんも座ってくれるか?」
「なんやねん?改まって…」
平家が不思議そうな顔をしながら、父の隣に座る。

「実は…乗りたい自転車があって…
“平家”のロードバイク、造ってもらえませんか?」
245 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時28分11秒  
中澤の言葉に、父と平家の身体が強張った。
「ちょ、ちょぉ裕ちゃん、何言うとるん?
それは無理やで。ウチかてバックオーダー抱えとるし…」

それを聞いて、中澤がバックパックから銀行の通帳と印鑑を取り出して、
父の前に差し出した。
「とりあえず、ここに5000万あります。
これで“平家”ブランドの工房を興して下さい。」

父もさすがにこの行動には、たじろいでしまった。
いくら、中澤が“売れっ子(美人)作家”でも、
5000万のお金を、右から左へ簡単に移せるほど、長者ではないはずだ。

差し出された通帳のくたびれ具合から見ても、
かなり前から貯めていた貯金だったのは容易に想像できた。
それを、現役を引退して何年にもなる職人に預けようとしているのだ。
246 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時28分42秒  
「そんなん…裕子にそこまでしてもらう義理無いわ…」
「当たり前やん。もちろん、ただでスポンサーになる訳やないで。
株式会社にして、株を全部ウチの名義にすれば…立派なビジネスやろ?」
「確かにせやけど…」
父が言葉を濁す。

「……お父ちゃん、自転車嫌いになったんか?」
「んなわけないやろ…」
それを聞いて、うっすらと口元に笑みを浮かべながら父親に言い返した。
「“やりたい事やったらええ”言うたのはお父ちゃんやろ?
“平家”のロードバイク乗るのも、ウチの夢やねん。」
「……………」

――あの時言った事を、ここで使うんか…

「ウチも賛成やな。
裕ちゃんだけやのうて、お父ちゃんの自転車欲しがっとる人、結構おんねんで。
それに、ここでゴロゴロしとるより、働いてもろた方がええしな。」

――みちよもかい…
247 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時29分21秒  
「圭ちゃんも欲しがっとったし…確か、よっしーが働いとった社長さんも、
お父ちゃんの自転車持っとったし、たまに“平家”の自転車、
オーダーしに来る人も居るし…」
「それに、最近はクロモリのフレームも見直されて来とるしなぁ…」
「場所とか決めたん?」
「そういうのは、まだこれからやけどな。」
「なっちやったら、ええ不動産屋知っとるかもしれへんで。
内装もあそこに頼んだら、まけてもらえると思うし…」
「あぁ、せやなぁ…今度、連絡してみるわ。」
「……………」
本人の意思とは無関係に、畳み掛けるように二人の娘が勝手に話を進めて、
いつの間にか追い詰められていくような感覚に陥ってしまう。

娘達の考えはともかく、
少なくとも時代遅れと思っていた“平家”ブランドの自転車が、
今の時代の人間にも認めてもらっている事は、正直嬉しかった。
しかし、即答はしたくない。
取り敢えずは、父親としての威厳を保っておきたかった。

「お父ちゃん…」
父親の顔を覗き込む、中澤の不安そうな顔と甘えるような声。
248 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時29分57秒  
わざと腕組みをして、暫く考え込んでいた父が重い口を開いた。
「…何年掛かるか判らんで。」

へそ曲がりの承諾だった。
それを聞いて、二人の顔がぱぁっ、と明るくなる。

父がどんなに渋い顔をしていても、その返事が、
どれだけ嬉しそうなものだったか、二人の娘に完全に見抜かれていた。

「もちろんかまへんよ。
ウチも納得いかんモンやったら、ナンボでも造り直させるからな。」
言葉は悪態をついているが、中澤の声はいつになく弾んでいる。
249 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時30分31秒  
二人の会話から一歩離れて、平家が頬杖をつきながら、笑顔の中澤を見ていた。

――裕ちゃんも、やっと落ち着いたようやな…

父親とはしゃいだ声で話をしている中澤の顔は、
昔、3人が一緒に暮らしていた頃の顔に戻っていた。
250 名前 : エピローグ・とりあえず、大団円?   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時31分11秒  
半年後
父親の自転車工房が建ち上がり、中澤のロードバイクが出来上がったが、
それは……また別の話、ということで……
251 名前 : Strong Four   投稿日 : 2002年10月24日(木)16時31分44秒  
人力二輪工房 [Common House]・FINE

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